作詞における起承転結の考え方

作詞における、起承転結についての考え方ですが・・・。

これについては、例えば、学校の国語の授業の時の様に、「起承転結を付けなさい」とかと先生から指導をされた事もあろうかと思いますが、作詞においては、必ずしも「そうしなさい」というつもりはありません。

ストーリーの展開を考えるという事は大事なのですが、起・承・転・結がしっかりと付いていない様に観える作品などは、幾らでも見受けられます。

出だしの切っ掛けが書かれてあって、話の起こり、始まりが綴られ、出来事が二転三転し、話のまとめに締められていく・・・という形が綺麗に付いている作品が、一体どれだけあるか?というと、疑問なのです。

例えば、5W1Hという言葉は多くの人が子供の頃に、聞いた事があるでしょう。
いつ、だれが、なぜ、どこで、なにを、どの様に・・・という事が、全て理路整然ときちんと書かれている歌詞なんて、あまり見掛けた事は、ありません。
それに、読み手はそこまで気にしながら好きなアーティストの歌詞を読むでしょうか・・・。

好きなアーティストの曲の歌詞を幾つか見てみて、起・承・転・結が、作品中に全て存在しているとは限らない作品なんて、珍しくありません。
例えば、起の部分が無いと思ったり、いきなり、転・結から始まる様な、ある種の変則的な構成で、詞中を探しても、承の部分が見当たらない歌詞など、様々あります。
そして、それでも何事もなく、普通に自然に成り立つのが歌詞です。

ですので、歌詞中に、起・承・転・結に当たる部分を探したり、書く際に、意識しながら書くのは良いだろうと思いますが、あえて無理にしっかりと揃えて書く必要は無いだろう、という事なんです。

物語の展開を考える、形成する事と似ている事だとは思いますが。


windzblue

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